在宅医療のはじめかた―在宅医療部・座談会

インタビュー 2024.10.23

訪問診療のクリニック、選び方あれこれ

―― 訪問診療のクリニックを選ぶとき、どんなポイントがありますか?

遠矢

やっぱりね、患者さんの立場で考えると「何かあったときに助けてくれるか」ということだと思うんですよ。もちろん定期的な訪問診療は必要だけど、夜中や休日に急に熱を出したとか、お腹が痛くなったとかいうときに、いつでも医師に電話がつながって、必要あれば走ってきてくれるとか、そういう臨時の体制がどうかっていうのは、とても大事な視点だと思います。

國居

緊急時の対応のことは大事ですよね。それと、病院だとそれぞれの専門科で医師が分かれているけど、在宅医療では「何でも診られる医師」というのが大事だと思います。科にとらわれず、患者さんを病気からだけではなくて〈生活している人〉として総合的に捉えることができて、「病気が生活にどう影響しているか」という視点を持っている医師と出逢えるといいですよね。

―― 本当ですね。どうやったら出逢えるんでしょう。外からわかるといいんですけどね。

遠矢

外来だと、風邪をひいたときとかに一度試しにかかってみる、ということができるけど、訪問診療だと断りづらかったりするんだよね。だから事前にケアマネさんなどに評判を聞いたり、契約しようと思っている訪問診療のクリニックに事前面談をお願いしてみるのもいいかもしれません。

國居

当院の在宅医療部は医師がたくさんいるけど、どの先生もマインドが共有されてますね。それが大事かなって思っています。所属のクリニックは同じなのに、医療へのスタンスが医師によってまるで違っていることがないようにって。もちろん医師も人間なので、いい意味で個性豊かですけど。

―― 今までの話を聞いて、「訪問診療に興味を持ったけど、どういう人が対象なの?」と思う方がいるかもしれません。

遠矢

そうだよね。簡単に言えば、どんな病気の人でも対象になりますね。例えば、実際にはがんの人のところにもよく訪問に行くけれど、在宅医療で診れることを知らない人も多くて、「がんみたいな重い病気は、病院でしか診れない」と思われていたりするんです。日本人の3人に1人はがんで死ぬ時代ですから、まだまだ治せないこともある。治せるなら病院で治療をするのがいいと思うんだけど、治療の手立てがなくなってどうしても命に限りが見えてきます。その時は痛みを取りながら「大切な、残された時間をどう使うか」ということに舵を切ったほうがいい、ということもあります。

―― 在宅でも緩和医療や緩和ケアが可能なんですよね。

遠矢

そうです。がんの緩和医療を希望される方も、在宅医療チームのぼくらに相談してほしいですね。

はじまってからの患者さんの反応は?

―― 実際に在宅医療がはじまったあと、患者さん方からの反応って実際どんな感じですか?

五味

訪問診療について言えば、移動することが大変な方のところに行くことが多いので、まずは「家に訪問すること」自体に喜んでいただけることが多いです。他に言われるのは、「よく話を聞いてくれる」「ちゃんと診察してくれる」ということです。日々の生活のことをしっかり聞き取って診療につなげることが大切なので、そう思っていただけるのかもしれません。診察に関しては、患者さんに触れる診察、つまり聴診器を当てたりお腹の触診を丁寧にしたりすることが多いので、「丁寧に診てもらえている」という実感につながっているのかなと思っています。

―― それは、訪問看護で担当している患者さんからもよく言われますね。熱心に話をよく聞いて、患者さんからの信頼を得ているんだなあと感じます。

五味

訪問診療は、患者さんの家に入ってから出るまではその患者さんのための時間ですから。

―― 訪問看護ははじまったあとのみなさんの反応って、いかがですか?

國居

訪問看護がはじまってからよく言われるのは、「訪問看護ってここまでやってくれるんですね」ということですね。お風呂も入れてくれるんですか、髪の毛も洗ってくれるんですか、って。「注射をする」だとか、そういった医療行為に特化しているイメージが強いのかもしれません。

―― 「勧められたから訪問看護をはじめてみたものの、何してくれるの?」って思っている方でも、実際にはじまってみると信頼して頼ってくださる方が多いですよね。

「その人をまるごと診る医療」を実践する

―― 在宅医療をやっているクリニックは多くありますが、当院ならではの特徴ってありますか?

遠矢

当院は、元々「家庭医」というのを目指していて、循環器科・消化器科・呼吸器科…みたいな科別ではなくて「その人をまるごと診る医療」をやりたい、という人たちが集まってできたんだよね。それは在宅医療とも親和性が高いんだけど、そういう意味では、どんな病気でも断らないし、その人と家族のためにベストを尽くすことをやりがいに感じている人たち、というのが当院の特徴かな。

―― 病気の面からだけではなく、どんな人生を送っているかを含めて診るということですよね。

遠矢

そうだね。それと、ぼくらの特徴として「緊急時にすぐに駆けつけることができる」ということもあります。それは患者さん方にとってとても大切なことですよね。医師一人でやっていらっしゃるクリニックはどうしたって緊急時の対応に制限があるなかで、ぼくらはチームを組むことでそれが24時間365日の緊急体制を整えることができている。

―― それは当たり前ではないんですよね。

遠矢

どうしても医師一人でやっていたら、外来の時間は電話に出られないし、夜に電話がつながりづらかったりとかも、しょうがない面があると思うんです。同じように「在宅医療をやっている」といっても、そういった違いはあります。

―― 当院には外来もありますが、訪問診療につながる患者さんもいますか?

五味

外来から在宅医療につながる方もいますね。外来に通院して診ていた患者さんが急に動くことが難しくなってしまって訪問診療で対応する、といったこともあります。

―― 外来からの連携がスムーズなことも、わたしたちの特徴のひとつかもしれませんね。

人生を終えるときに「出逢えたのがこの人たちでよかったな」と思ってほしい

―― 在宅医療において、みなさんが大切にしていることは何ですか?

遠矢

その人、その人に合わせるということを意識しています。「医療者側が何をしたいか」ということよりも、「患者さんがどうありたいか、何をしてほしいか、何をして欲しくないか」ということ。それは人によってそれぞれ違うので、しっかり聞き取って自然にできるような関係になればいいなって思いますね。医療だって人がやることだから、最後は信頼関係ですよ。その人に「自分のことをわかってくれている」と思ってもらえたら、「皆まで言うな、先生に任せる」と言われることもあったりするし、できればそういう関係性をつくりたいから、お看取りぎりぎりになって依頼するよりも関係性をつくる余裕のある早い時期にご相談いただけるといいかなと思います。

五味

在宅医療を見学にいらっしゃる医療者の方と「訪問診療の終わりっていつ?」という話をよくするんですけど、ほぼ大半はその患者さんが人生を終えるタイミングなんですよね。施設入所などの他のパターンもあるけど、患者さん側にしたら在宅医療に関わる人を選ぶことは「自分の人生の最後の時間に寄り添ってくれる人たちがこの医師やチームでいいのか」というとっても大きい選択だと思うんです。出逢う患者さんには、人生を終えるときに「出逢えたのがこの人たちでよかったな」「最期を寄り添ってもらえてよかった」と感じてもらえるといいなと思っています。

―― 共感します。患者さん側から、「どうしたら医療やケアの人たちと良い関係が築けるのか」っていう質問をもらうことがありますが、どう考えますか?

國居

どんな風に生きてきたのか、人生観、価値観、死生観を教えてほしいですね。人それぞれの生き方のなかに「どういう医療やケアが必要なのか」ということが隠れているので、聞かせていただけると方向性が定まりやすいです。

五味

そうですね。医師としても、病気も生活もみながらより良い医療の選択をしていくので、そういうことは教えていただけると助かります。在宅医療はどんな病気も診られるし、病気が理由で断るようなことはないですけど、「病院と同じ専門性の高い医療をやってもらえるんですか」という期待が強い場合は、ジレンマが生じやすいですね。そこのズレが少ないとスムーズに関係性を築きやすいかもしれません。

―― そういうことはよくありますか?

五味

電話で相談いただくときに、どんなことを期待しているのかなど聞き取って、お伝えはしていますね。だから迷ったらまず電話していただくのがいいかと思います。

―― 病院と在宅の医療は、役割が違うということもありますよね。お互いが補い合うようなチームを組むこともあるし。

五味

そうそう。役割が違う分、病院側と在宅医療側に主治医がいるという形をとることもあります。よくありますよ。

遠矢

医師になって学んだのは、「死ぬのも大変なんだな」ということなんですよね。そんなに楽には死ねない。でもみなさん、思い描いている希望の死に方みたいなものがあって。願わくばそれに近づけられたらいいなと思っています。色々な病気を抱えるから「こんなはずじゃなかった」ってこともあるんだけど、「できるだけ苦しまずに死にたい」とか「長引かせずに死にたい」とか、そういう希望がある。それを叶えるのも医療だと思うんですよね。
ほっておいたらそうなるってものでもなかったりするし、入院なんかすると色々な管がついていのちが延ばされることもある。「俺はそういうのは望まない」っていう人も多いけど、そういう人の望みはどうしたら叶うのかということを医療者が一緒に考えていく。そこには医師が必要なこともたくさんあって、死を待つだけの状況においても、様々な希望があったりもする。例えば「桜が見たい」とか「うなぎが食べたい」とか。身体が弱っていると何かひとつするのも不安だったりもするから、そこに寄り添う医師がいるというのは、治すための医療じゃなくても、ぼくらの存在がある意味があるのかな、って思ったりしています。

―― いいですねえ。いのちを閉じていく過程において、ケア的な関わり方はたくさんありますよね。國居さんはいかがでしょう?

國居

人って、生まれてくる時って選べないけど、最期って自分である程度選べるんですよね。「自分で選べるようにするには、どういう風に支えていけばいいのか」ということを大切にしてますね。本人がどういう最期を迎えたいか、どうやって生きていきたいか、どんな治療を受けたいか・やめたいか、っていうね。わたしたちは「それならこういう方法がありますよ、こういう道がありますよ」ということを伝えていく役割ですよね。
例えば「おしっこが出ない」という困りごとが発生したときに、尿器という方法があるよとか、尿の管という方法があるよとか。尿の管も、菌に感染しやすいとか違和感があるということもあるけど、それを選びたい人もいる。医療者側の考え方で決めつけず、どう伝えたら自分で選べるのか。それが支えるってことなのかなって思います。

五味

本当にそうですよね。在宅医療は、結果的に人の最期を見送ることは多いけれど、「看取りのためだけの医療」というわけではないんです。どう生きていくか、その先に看取りがある、という感じですね。

(了)

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